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女優魂の思い出

幼稚園のとき、クリスマスに劇をやった。
イエスキリスト誕生の話。
主役のマリア様役には背が高くて髪の長い、かわいい女の子が自動的に選ばれた。
私は5人の天使役というのがやりたかったのだけど、オーディション(てほど大げさなわけではないが)で落選し、最終的にナレーター役になった。
ナレーター役は博士みたいなマントと帽子をかぶって舞台端に立ちト書きをしゃべる役で、真っ白なフワフワの衣装の天使に比べたら、全然かわいくなかった。


小学2年生のときの劇ではウサギ役だった。
お尻にボンボンをつけた白いタイツをはいて、格好はかわいかったと思う。
だけど、ヤマネコに捕らわれたニワトリを救出するために、
「やーいやーい、ヤマネコやーい!」
と言いながらぴょんぴょん跳ねておとりになるという勇ましい役で、「やーい!」っていうセリフが嫌だしかわいくないなって思ってた。


小学6年生のときにクラスでやった劇では、自分の満足のいく劇を実現したいと思い、脚本制作役に名乗り出た。
それまでの憂さを晴らすかのように、クラスメートの迷惑を顧みず、「脚本・監督・主演:自分」っていう…。
今となっては恥ずかしすぎるし申し訳ない。
でもここでカワイイ役を自作自演するかと思いきや、何を思ったか、内容はホラーだった。最後はクラス全員が死んでゾンビになるという、ハッピーエンドですらない怖い内容にした。主役の自分ももちろんゾンビ。
ゾンビになって蘇るところに何か再生という深いメッセージを込めたとか、そんなわけない。
当時私はとにかくゾンビを演じたかったんだと思う。
過去のかわいい役をやれなかった気持ちの反動は凄い。
そして特にチェックなしに全部生徒の自主性に任せた小学校は、案外いい学校だったのかもしれない。


念願叶って思い通りの劇ができたことによって、私の女優願望とかわいくなりたい願望はゾンビとなって成仏していった。
by fb001294 | 2010-11-30 01:05

太郎が花子を

笑ってはいけないときに、笑いをこらえるのは、ものすごく苦しい。

大学の授業で、言語ナントカ学という授業があった。もうどんな内容だったかすっかり忘れてしまった。
とても静かな男の先生で、見た感じピュアでシャイな印象だった。淡々と進めるその授業以外に交流がなかったので、本当のところは知らない。
当時おそらく50過ぎで、髪の毛がくるくるの天然パーマで、目がくりくりしていた。気がする。

その先生が、文法を説明するために例文を黒板に書いた。

「太郎が花子を殴った」

そして先生はこの例文をもとに何やら文法を説明する。
「太郎が、花子を、殴った」「○○だから、太郎が、ここで○○で、花子を、殴った、とこうなるわけです」「○○であるからして、太郎が、殴った、となります」という調子で。

ここらへんで、友人Aがたまらず吹き出した。
これは、何か、ものすごく可笑しいぞ、と感じていた私もそれを合図に吹き出した。

おとなしそうな先生が、よりによって何故この文例!?
「太郎が花子を見た」でも「太郎が花子を触った」でも何でもいいはずなのに、どうして「殴った」?
そしてこんなにおかしな文例なのに、静まり返っている他の学生たち。
淡々と「殴った」を連発する先生。

その全てが可笑しくて、友人Aと私は笑いが止まらなくなってしまった。
だけど周りはあくまでも冷静だから、私は必死で意識を平静に戻そうと努力するのだけど、となりで友人Aが「フゴーー!」って変な声を出して笑いを止められずにいるから、それが私の笑いにまた火をつけて、それはそれは、苦しかった。

この例文はその後もこの授業でしばしば使われて、そのたびにとても苦しい思いをした。
机に突っ伏して肩を震わせる私たちが一体何を笑っていたのか、先生は知っていたのだろうか。
二人とも評価はCだった。単位がもらえないDのギリギリ一個上である。


今振り返っても、授業の一切の記憶はないが、この例文だけは鮮明に覚えている。
笑いすぎて言葉にならなかった彼女の言い分を解釈すると、
純粋なおとなしい先生の口から出た「太郎が花子を殴った」という暴力的フレーズと、その内面に隠し持つ驚きの一面(知らないけど)。
この違和感ありすぎのフレーズを真顔で受け止める学生たち。
そして誰もそれを指摘せぬまま、太郎に殴られ続ける花子。
これがギャグでなくて何であろうか。
というところか。


思うに、おそらく友人Aには些細な日常からストーリーを組み立てる力が備わっていた。無意識に。
さらに私には、そのせいで狂ったように笑うAの苦しみというストーリーも追加されたのだが。

最近またこのエピソードを思い出して、電車の中で一人笑っていたりしたのだが、
この「ストーリーを組み立てる力」というのは実はばかにできないな~と思った。
思い出すたびに可笑しくて楽しい気分になる。日々を少し豊かにする力だ。
ストーリーの芽をみつけ、その背景への(実在するかは別にして)想像が働き、それらを実際のおかしみとして再構築するということ。
生きていく上で必ずしも必要ではない、一見無駄だし、ある人にはあるけど、無い人には無い力。

だけどこのことは、いろんな場面で威力を発揮するのではないかという気もしている。
飛躍しすぎだけど、最終的には映画『ライフイズビューティフル』にも通じるんじゃないかな。

他の学生たちのようにただの授業として真面目に過ごすこともできたのに、そこからわざわざ笑いを拾い上げ、先生に不快な思いをさせたあげく危うく単位を落としそうになったという意味では、あのときの私たちにとっては無駄だったのかもしれないけど。


無駄で思い出すのは、高校の校長先生の言葉。
「姑息な無駄は無駄に終わるが、壮大な無駄は人生の財産になる」
なんだか雰囲気ではわかるけど、壮大な無駄ってつまり何だ!?って当時は思ってた。
だけど、もしかしてこのストーリーの積み重ねは、壮大な無駄の一部なのかもしれない。

私の日常にいつも愉快さを添えてくれる友人Aに教えてあげよう。
あなたの言うことは壮大な無駄だって言うと怒りそうだけど。
by fb001294 | 2010-11-28 23:57

本番で練習

いまさらだけど、先月の出張の際の、私の苦労と感動の記録を。

10月に東京のお客さん(3人)のイベント視察に同行して、熊本に帰った。
イベント前日に阿蘇観光に連れていった。

会社の車を借りる予定にしていて、地元とはいえ方向オンチなのでナビ付きの車をリクエストしていた。
前日の夜、同僚と楽しくお酒を飲んでいたら、後輩から「ナビのDVDが見当たらない」と電話が。私は酔っ払ってたし、大きな気分で「そんなこともあろうかと地図も持ってきたし、何となくわかるし、かまわんかまわん。」って言った。実際しょうがないし。

翌日、空港にお客さんを迎えに行き、そのまま車で阿蘇観光にでかけた。
そしてナビ無し車の恐怖を思い知る。
ナビ無しの車が、あんなに不安なものだって知らなかった。いや、迷っても構わないお気楽なドライブならいいんだ。だけど予定が決まってるから、迷うわけにはいかない。しかも地図を持ってるとは言え、お客さんに持たせてナビをさせるわけにもいかず、出発前にルートを頭に叩き込んで臨むしかなかった。

で、だいたいは頭に入ってるんだけど、進むに連れて不安になってくる。田舎なのでいちいち案内板が出ているわけでもない。「あれ・・・?こっちで大丈夫かな?もし、あられもない方向に進んでたらどうしよう・・・」と深刻に不安になる瞬間が全部で5回はあったと思う。
そんな私の不安なんて知る由もないお客さんは、あれこれ話しかけてくる。「この電車は何線っていうんですか?」とか、「熊本の名物って馬刺しのほかにはなんですか?」とか。私も要所々々で「今まさにカルデラの中にいるんですよ」とか「『あとぜき』っていうのは開けたら閉めるっていう意味です」とか、「熊本市内の水道水は地下水なんです」とか笑顔で話す。
そんな心忙しいストレスフルな状態で、それでも迷わず予定通りに全部廻れたときは心底ホッとした。私の勘ってすごいなと思った(何ヶ所かは勘だった)。
まあ、自分でも知らない間に遠回りしてた可能性はあるけど。

普段ナビとか人に頼っての運転しかしたことなかったから、こんな試練が突如訪れるなんて思いもよらなかった。やっぱりだめだ~、自分以外に頼ってちゃ。
今回走った道はもう二度と忘れない。いざというときは、もう大丈夫だ。
でもいざというときはまさにこの日だったわけで、今回以上に迷ってはいけないドライブなんてもうないだろう。人生は不思議だ。


この日はとっても天気が良くて、阿蘇の景色が素晴らしかった。何度も見慣れている私も、大感動の風景だった。
大観峰からの景色に、お客さんも「なんだかジオラマを巨大化したみたいだ」と何がなんだかわからないコメントをするほど。そのくらい現実離れした光景なのだ。
火口もエメラルドグリーンがキレイに見えたし、その周囲は地球上じゃないようなおどろおどろしい雰囲気だし、みんな呆然としていた。
道々のススキがまた美しく、私のつたない観光案内を完璧に補ってくれた。ありがとう、阿蘇の景色。

そこまで言うなら写真をアップしてくれよって感じでしょうが、なんせホストだったので、まさか私がパシャパシャ撮るわけにもいかず・・・。お客さんも一生懸命写真撮ってたけど、全然おさまりきれてなかった。

夜は市内で懇親会、翌日は朝から熊本城などなど観光して、イベント視察。
まる二日間、愛想笑いしすぎて、笑顔が顔にはりついた。はりついたそれが、笑顔のままボロッと落ちそうだった。


熊本は中心部から離れると魅力的な土地がたくさんあるけど、熊本市内に見るべきものが少ないのが課題だな。熊本城と水前寺公園に行ったらあとは時間を持て余してしまう。
それはそれとして。
疲労困憊したけど、でも私自身、改めて故郷の魅力に感動した。

お客さんも満足して帰っていった。
結果オーライ。

熊本にお越しの際は、是非お声掛けを。
もう練習はバッチリだから。
by fb001294 | 2010-11-24 01:13

男女の愛情について考えてみる

今の時代は男性も女性も行動範囲がとても広いから、自ずと出会いの幅も広がり、でもその行動範囲の広さが生んだ結果として、難しい恋をすることになる人も多いのかもしれない。
無邪気なだけではいられないこの年齢というのも、本当はシンプルなその恋を難しくしている。

互いに遠く離れて暮らすカップルを何組も知っている。
国内ならまだしも、相手が外国人だったりもする。
距離の問題ですらなく、やっと会えた大好きな人が既に結婚していたということもある。
人の数だけ、その事情や悩みは様々だ。

行動範囲の広い人は、同時にとても思慮深かったりする。
愛していれば全てを投げ打って相手のもとへ行けばいい!というわけにはいかない、それぞれの事情や人生に対する考え方がある。
別れを選ばざるを得ないこともある。

そんな想い合っているけれど、最終的には一緒にいられないカップルたちを見て思う。
愛おしい人がいて、その人からも愛おしいと思われて、気持ちがお互いを見ていて、大事な何かを常に交換している。これが奇跡的な男女のゴールだとしたら、出会いとか別れとか、片思いのトキメキとか、全てはその周りの付属品でしかないのかもしれない。結婚でさえも。
もし今、そのただなかにいるなら、2人の関係の過去や未来については、何の後悔も、未練も、悲観も、哀しみも、必要ない。
2人の気持ちがいつか変わっていって、2人の関係も変わっていって、それは当たり前に起こることだし、2人がもし一緒になっていたとしてもそれは起こるのだけど、今その瞬間の事実だけは、大切に守らないと。心はそのためにある。


このところ立て続けに局面を迎える恋人たちの話を聞き、こんなことを思いました。
一緒にいられないのは切ないけれど、底の底から心を交し合える人に出会えた奇跡に、感謝だ。
by fb001294 | 2010-11-21 20:13

ここ最近について

・すきやばし次郎に行った。
言わずと知れたミシュラン三ツ星の寿司屋である。
清水の舞台から飛び降りる思いで、大枚かかえて行きました。
と~ってもおいしかった。香りが鼻から抜けるって、あのことを言うのね。
おすすめで、全20貫。あっという間の40分間だった。
じろうさんに握っていただけた。御年80を超えておられる。
ここでそのおいしさについてあれこれ語るべきなんだろうが、よく考えたら私はこれまで高級寿司屋なんてほとんど行ったことがなく、他と比較して味わう舌を持っていない。
『美味しんぼ』ばりに、「むむっ、これは・・・」とか「なんという○○・・・」とか思いたいけど、恥ずかしながら全部「すごくおいしい!!!」しか言えなかった。
たぶん初心者にして頂点を覗いてしまったんだ・・・。なんてこった。
じろうさんは生ける文化財みたいなものだと思うので、とても貴重な体験をさせてもらったと思う。


・友人のお誘いで、クラシックコンサートへ。
プログラムには『1Q84』で有名になった、ヤナーチェクの曲もあり(シンフォニエッタではなく、クロイ ツェル・ソナタという曲でした)。
これまたクラシックも初心者なのだが、とてもすばらしかった。
じぃっと耳を傾けているうちに、クラシックってなんて官能的なんだろうと思ってしまった。別にエロいことを考えていたわけじゃありません。
でも、いろんな感動のしかたがあるとすれば、クラシックは人間の本能の部分にぴたっと寄り添ってくるような、そんな感じがする。
一番左でバイオリンを弾いていた男性の動きが特徴的で、彼は、思いが有り余って体じゅうからそれが出てきてしょうがないと言わんばかりの動き方だった。
帰りにバイオリニストの友人が、演奏者には4つのタイプがあって、足について「つま先をつける」、「かかとをつける」、「開く」、「開かない」(←でしたっけ!?)とあって、彼はつま先の人だったね、と教えてくれてとても興味深かった。確かに一番左の男性は、つま先がついていた。
つま先か、かかとか、というのは演奏者に限らず全ての人に当てはまる気がして面白い。
前のめりな人、どっしりな人。


・ゴッホ展を観にいった。
国立新美術館へ。予想はしていたが、大混雑。私は以前は絵画に無関心だったけど、世の中には絵に興味のある人がこんなにもいるのかと、毎回感心する。
ゴッホはフランス時代に芸術家との共同生活でユートピアをつくることを夢見て破れ、その後精神を病んで37歳で自殺している。
人と理解し合えると信じて疑わなかったゴッホの純粋さが伝わってきて、切なかった。
芸術家たちとの共同生活のために借りたアトリエの、彼らの部屋に飾るための絵というのも描いていて、そのかわいい行為もさることながら、その絵がまた鮮やかな色使いで、とても心に残っている。


・ツイッターに書き込み慣れてきたせいか、ここ最近はこちらよりツイッターにシフト気味だった。
あれは140字以内だから、いかに簡潔に、かつ最大限に情報をつめこむかというのが、ストレスでもあり面白くもあり。
by fb001294 | 2010-11-21 02:02


ただの日記です 80%くらいは未来の自分が楽しむために書いてます。20%くらいで人に近況報告してるつもりです。


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